英国ロンドンの王室御用達ジュエラーとして知られる〈J.W.ベンソン〉。古くは1840年頃にジェームス・ウィリアムス・ベンソンによって創業された時計メーカーで、宝飾品も並行して取り扱っていました。日本では、戦後復興の立役者でもある実業家・白洲次郎が愛用した時計ブランドとしても有名です。 こちらは戦前のベンソンを代表するモデルで、当時「トロピカルウォッチ」の名称でリリースされました。日焼けを起こさない白磁製のポーセリンダイヤルを採用し、〈フランソワ・ボーゲル(François Borgel)〉製の防水式クッションケースを纏う名機中の名機です。特にこの個体はスクリューバック以前の旧式の防水構造を採用する初期モデル。コインエッジが配された風防一体型ベゼルがねじ込み式となっており、大枠のベゼルの上から内部を締め込むという手の込んだ防水構造がみられます。その内部はヒンジで連結されたインナーケースの中にムーブメントが収まるという、極めて複雑な構造。またいわゆる後期型モデルが29mmサイズに対し、こちらの旧型は31mmとやや大振りという点も特徴です。 さらに輪をかけてこの個体を貴重たらしめているのが、言わずもがな18金の金無垢ケースです。当店もその存在を知ったのは、この個体を見たのが初めて。おそらく国内でもお目にかかることはほぼないと思われます。これはベンソンだけでなく、当時英国市場で流通していた腕時計や懐中時計の金無垢ケースは決まって9金。指輪などのジュエリーを除き、18金の英国時計自体が幻なのです。 文字盤のポーセリンダイヤルも、100年近く前の製造当時と変わらない美しい乳白色を今に伝えており、大振りなアラビア数字、レイルウェイ・インデックスで装飾的に仕上げられたアール・デコ様式の文字盤デザインも秀逸です。コインエッジの防水クッションケースというユニークなデザイン性は、同時代にロレックスが開発したオイスターケースを彷彿とさせ、優雅なルックスの中にトレンチウォッチを思わせる無骨さを湛えています。 ムーブメントはスイスの〈シーマ〉社が手掛けた、CAL.032Kを搭載。各穴石にゴールドシャトンを備えた高級機種です。ちなみにこのトロピカルの初期モデルは1930年から1935年(デイトレター:m)まで製造されており、1936年(デイトレター:n)から2ピースケースの後期型にモデルチェンジされます。前者は三つ指のブリッジを持つムーブメントを搭載し、後者は二つ指に変更されますが、こちらは初期モデルにかかわらず二つ指のムーブメントを搭載しています。それはこの個体の製造年がデイトレターが"n"、つまり1936年だからです。この年から後期モデルがリリースされ、同時にムーブメントにも変更が加えられたということですが、偶然にもこの年に廃盤となる初期仕様のケースが18金無垢でつくられ、後期型ムーブメントが搭載されるという、非常に奇遇な個体が生まれたということになります。