英国屈指の老舗時計ブランド〈J.W.ベンソン〉。かつて時計師としてロンドンに工房を持っていたウォッチメーカーであったJ.W.ベンソンですが、第二次大戦中の爆撃で工場を破壊され、戦後は様々なウォッチメーカーに腕時計の製造を委託することでブランドを継続していました。とはいえそのバリエーションは多彩の一言。複数のウォッチメーカーが絡んでいたことから、文字盤はもとよりムーブメントやケースに至るまで、様々なデザインや機構の腕時計が存在します。 端正な金無垢のラウンドケース、控えめなアラビア数字とレイルウェイ・インデックス、上質感漂うブルースチールの時分針。とりわけ美しいリーフ形をした時分針は、付け根から切っ先にかけてグラマラスな曲線を描く、緻密で洗練されたクラフツマンシップを想起します。総じて1940年代の英国時計のオーソドックスを極めた完成度の高いデザインを持つこちらのベンソンは、意外にも他に類を見ない一本です。何しろ、ケースは当時スミスが採用していたものと全く同じデザインだからです。 スリーピースケースで段差のついたベゼル、リューズが収まる部分に窪みを設け、ラウンドを意識した特徴的な設計など、当時の、いわゆる「アーリースミス」のウォッチケースと酷似しています。このケースは、英国市場向けのロレックスやオメガ、そしてスミスの腕時計の多くに採用された〈デニソン ・ウォッチケース・カンパニー〉製。スミス以外のエタブリスールが手掛ける時計に、スミスデザインのウォッチケースが用いられるのは極めて異例と言えます。 このウォッチケースが作られた1947年、実はこの年スミスは正式に英国初の国産腕時計のリリースを発表しておりましたが、まだスミスが他社向けに別注品を供給するのはもう数年先のことでした。おそらくその背景でこのベンソンの腕時計を作るにあたり、従来依頼していたスイスのメーカーにムーブメントと文字盤を作らせ、ウォッチケースは腕時計業界にはまだ新参であったスミスを使ってみよう、という経緯があったのではないかと推測されます。 スミス製のベンソンは1949年以降作られ、ローマ数字を基調とした上品な文字盤を特徴とする腕時計が定番となります。その名作を生んだきっかけのひとつと思われるこの腕時計は、その品良くまとまった表情の下に奥深い英国時計の歴史を隠し持っているように思えます。 ムーブメントはフォンテンメロン社のCAL.90。美しいストライプフィニッシュのブリッジに加え、やや大きめの受け石を持つ質実剛健な仕上がりは、この時代ならではと言えます。