黒文字盤×レクタンギュラー。さらにローマ数字を幾何学的に用いたアール・デコの文字盤デザインを持つこちらの腕時計。ブランド名を文字盤に載せないのは、当時宝飾品店が自社オリジナル商品としてフランス・ブザンソンに存在した〈ルモン〉というウォッチメーカーからカスタムオーダーで仕入れた、ジュエラーズウォッチのひとつだからです。当時リテイラーがオリジナルとして腕時計を販売する際は、主にこうしたノーネームの文字盤で作られることが一般的でした。 Low-keyな要素を含みつつ、それとは裏腹に溢れる存在感。その源にあるのは、やはり力強いタンク・シェイプのレクタンギュラーケースです。手の込んだカッティングが幾重にも施されることで彫りの深い横顔を生んでいます。しかもこちらは角形ケースには非常にまれな、ステップドベゼルを備えています。ベースとなるのはラグが貫く縦長の長方形、そしてその両サイドに一段下がったベゼルがせり出し、正方形に近いスクエアシェイプを生成するという、重厚感にあふれた個性的な設計が見て取れます。大きく弧を描く風防も、ケースと同調し、まさにアール・デコの様式美を体現した造形です。 ちなみにこの「タンク」と言う呼称。キャタピラを思わせる直線的な二本のラグが基調となる角形ケースをこのように呼びますが、御察しの通り、かつて第一次大戦期に活躍した戦車(tank)をイメージして作られたことで知られるカルティエの名作「タンク」がその由来です。ドレスウォッチの代名詞的存在のレクタングルケースも、実はミリタリーが絡んでいたというのは意外と知られていない事実かもしれません。 ギルトダイヤル、もしくはブラックミラーダイヤルと呼ばれる光沢のある黒文字盤は、「下地出し」の技法が用いられています。単なるプリントの場合、摩擦や経年劣化などによってインデックスが薄くなったり消えたりすることがありますが、下地出しの場合その心配はなく、漆黒の文字盤にインデックスがくっきりと光を受けて浮かび上がる独特の美しい文字盤を永く保つことができます。多少暗かろうと視認性を損なわない利便性に加え、高級感を兼ね備えた人気の高いディテールのひとつ。 ローマ数字とドットが印象的な文字盤デザインも、やはりアール・デコに満ちています。レイルウェイトラックや重層的な四角形の連続によって成り立つと同時に、セクターデザインのスモールセコンドがアクセントとして重要な役割を担う、秀逸なデザイン。文字盤にブランド名が載らない、アノニマスなスタイルであることも、この腕時計の魅力には欠かせない「デザイン」です。